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2014年04月13日 09:20

マーチィン・シックススミス著、宇丹貴代実訳、集英社文庫。1000円+税。

アイルランドからアメリカに養子縁組した男の物語で、実話だと言います。やや長編の小説で、修道院の犯罪的な行状、男の社会的成功、しかし満たされない思い。小説なのであらすじの紹介は避けますが、アメリカ社会の時代ごとのゲイの受け入れのあり方も参考になります。

手放した実母と男の感動的な再会?に心打たれます。映画にもなっているようです。

 

2014年04月13日 09:08

明石書店刊。イギリスで乳幼児のときに養子縁組された子どもが、長じて実親探しをしたときの体験報告を元に構成された本です。国連の「子どもの権利に関する条約」では、子どもには「できるかぎり親を知る権利」があると明記されていますが、日本ではないがしろにされていると言っていいでしょう。それに比べてイギリスの文化の違いに思わず絶句してしまいます。

イギリスではチルドレン・ソサエティという団体が実親家族と子どもの仲介サービスを行っています。実親からの手紙などを保存しておいて、子どもがある年齢になって、実親探しをする場合にはカウンセリングをしてくれて、こうした資料(実親からの手紙など)にもアクセスできるわけです。

養親は、子どもが実親とつながることについて「これからも新しい家族と交際を続けていきます。結局のところ、私たちはみんな、この子の人生の一部分なのですから」とコメントしています。子どもを中心にした仕組み。日本でもぜひこうした取り組みが必要だと思わないわけにはいきません。

 

2014年04月13日 09:00

『江戸の捨て子たち』(沢山実果子著・吉川弘文館)32Pに「浅草寺日記」が紹介され、浅草寺境内に捨てられる子どもの話があります。

境内に捨てられると、檀徒に一時預けられ、その後希望者がもらいに行く。単なる捨て子ではなく、観音菩薩の加護を受けたもらい子、神仏の加護を受けた取子となるというのです。

「江戸時代版・赤ちゃんポスト」と言えます。常々、赤ちゃんポストがなぜ一か所だけなのか、と思ってきましたが、大きな寺や神社が第二、第三の赤ちゃんポストを名乗り出てもらいたいものです。もともと歴史的に見るとそのような機能を果たしてきたのですから。

2014年04月13日 08:53

『忘れられた日本人』(宮本常一著・岩波文庫)の86Pにこんなことが書いてあります。実母が里親と子どものマッチングをするお話です。  

――敬太郎の家もくらしがまずしうて、その母親が子をつれて来ましてな、方々の家へたのんであるいていて、とうとう私の家へおいてかえったのであります。たのむといいましても、まあ、その家へいって「今晩一ばんとめて下され」とたのみます。たのめば誰もことわるものはありません。台所のいろりばたへあげて、夕飯を出して、しばらくははなしをしているとそのうちにみなそれぞれのへやへ寝にはいる。敬太郎のおふくろと敬太郎はいろりのはたにねるわけです。敬太郎のおふくろはそれがかなしうてならぬ。この子は自分がかえってしまったら、こういうように1人でここにねさせられるかもわからん。そう思うと「よろしくたのみます」ということができん。それであくる朝になると「いろいろ、おせわになりました」といって出ていく。とめた方も別にこだわることもなく「あいそのない事で」といって送りだします。こうして家々へとまって見て、親が気に入らねば、子どもをあずけなくてもよいわけであります。敬太郎のおふくろも方々あるいて見たが、どこの家も気に入らなかったようであります。それでわたしの家へ来た。わたしの祖母にあたるモトというばァさんがいました。夕飯がすんで一きりはなしをして、みなへやへはいっていったが、モトばァさんが「かわいい子じゃのう、わしが抱いてねてやろう」というと、その子がすなおに抱かれてねました。おふくろはそれを見て涙を流して喜んで、この家なら子どもをおいていけると思うて「よろしくたのみます」と言ってかえったそうであります。それから敬太郎はモトばァさんに抱かれてねて大きくなりました。

また本書112Pにお遍路さんのことが書かれています。

――(女の人が年頃になると遍路に出かける)伊予の山のなかでは娘をもろうてくれんかと言われて――何をさせて使うてくれてもかまわん。食わして大きくしてくれさえしたらええと言うておりました。よっぽど暮らしに困っておりまっしろう。遍路のなかにも子どもの手をひいてあるいているのがたくさんおりました。たいがいはもらいっ子じゃったようであります。この方には昔は伊予からもらうて来た子どもがよけいおりましての。10人も20人もいたことがあります。

2014年04月13日 08:48

戦前の松戸、矢切りの渡し付近にあった感化院が舞台になっているよ、と聞いて『お菓子放浪記』(西村滋著 講談社文庫)を読みました。映画にもなっているので、観た方もいるかも知れません。

これから読む人のためにはあらすじを紹介するのはよくないのでしょうが、主人公がそんなに悪いことをしたわけでもないのに、ミナシゴだと言うだけで(引き取り手がないので)感化院に入所し、さまざまな体験をします。養子縁組で感化院を出ることになりますが、それで幸せがやってくるわけではなく、戦争に突入し生きるのも難しい、食べ物にも困る経験をします。一言で言うなら、出会いと別れがあり、生きる勇気をもらえる不思議な本です。

ところでミナシゴという言葉は“身寄りのない子ども”ということで、差別的な言葉かと思っていましたが、身寄りのない子どもを村の人たちがみんなで育てていくことを言うらしいのです。村の子どもと“みなして”養育する。地域に強い絆のあった時代のなごりの言葉といえそうです(いまでもそうあってほしいものですが)。

松戸の矢切り周辺にあった感化院は、いま千葉県大原にある子山ホームの前身なのではないか、と思っています。

2014年04月13日 08:43

里親のもとにはさまざまな子どもがやってきます。発達障害関係の子どもも少なくありません。アスペルガー症候群の子どもがやってきたという話もよく聞きます。『自閉っ子、こういう風にできています!』(ニキ・リンコ&藤家寛子著、花風社刊、1600円+税)は、当事者の語りで構成されています。ともすると深刻な話になりがちですが、障害をもった人とは思えない明るさで語ります。

宮沢賢治の詩『雨にも負けず』が最初に引き合いに出されます。雨に当たると痛いので、この詩を作ったのではないかと話題になります。確かにアスペルガーの人たちの身体感覚は定型発達した人とは違います。それをよく表すエピソードと言えます。

みんなには背中があるのに、自分には背中がない。とても不思議だと思っていたと話します。また、定型発達した人の何気ない言葉にも悩みます。たとえば「ご飯を食べに行こう」と誘われると、最初に「おかずは食べないのかな」と思うそうです。よく聞いてみると必ずしもご飯を食べるのではなく「今度楽しい時間をもとうね」という意思表示で、仲良くしようねと言うかわりにそういうのだと分かります。社交辞令が分からないので日々悩みます。

“定型発達”した人が書いた難しい本を読むより、当事者が明るく語るこの本には、まずなによりも救われます。アスペルガー症候群の人がどんな世界に生きているのか、どんなことで困っているのか、手に取るように分かるので、里親の必読書だと思ってしまいました。

2014年04月13日 08:40

第64回カンヌ国際映画祭でグランプリをとったフランス映画。監督ダルデンスが、以前日本で聞いた「帰って来ない親を施設で待ち続ける子どもの話」をもとに作った、ということです。児童養護施設に預けた父親を探すなかで出会う女性が週末里親となって、12歳の少年の危なっかしい世界が繰り広げられる。週末里親サマンサがいい味を出しています。

2014年04月13日 08:22

『犬として育てられた少年』は、子どものさまざまな虐待の形11ケースの治療に取り組んだ本。心理学的にアプローチするものではなく、脳生理学からのアプローチに新しさを感じます。

この本の言いたいことを短く紹介すると、脳の発達と虐待の関係は、成長の早い時期ほど基本的な脳の部分“脳幹(呼吸や血圧を司る)”にダメージを与える。それはすでに胎児から始まっている。また、人はDNAとほとんど同じくらい環境に影響を受ける生き物であると言うこと。治療よりも環境が虐待によるダメージから子どもを救うと言うのです。里親の健全な家庭がもたらす、治療以上の効果。

虐待は子どもにどのような影響をもたらすのか、里親として理解することはとても大事なことだと思います。

2014年04月13日 08:15

 『花言葉をさがして』(ヴァネッサ・ディフェンバー著・ポプラ社・1600円+税)は題名からするとロマンチックな内容を想像しますが、里親宅を転々とする女の子が主人公。どこの里親のところに行ってもすぐグループホームに返されてしまいます。ホームなら「誰も私を愛しているふりなんかしない」(18P)と強がります。

愛された経験のない少女が18歳になって突然のように措置解除となります。公園に寝泊まりしながら花屋さんの仕事に就くことができます。それは花言葉を知っていたから。なぜ知っているのか。以前ある里親が教えてくれたからです。そこから、その里親との出会いと現在が交互に語られていきます。愛された経験のない女性が愛を自らのものにしていく、一口で言ってしまえば感動の物語と言えます。

それにしても、その、ある里親の子どもへの向かい方には驚きます。自分の悩みと子育ての問題を同等のものとして扱う、決して子どもを下にみない、軽んじない、そんな姿勢があるからでしょう。

それもそのはず、と納得できるのは、著者は里親家庭で暮らす子どもを支援するネットワークの活動をしている人なのです。読後感は、暖かい焼き芋を手に持った感じ。だけど、里親としての覚悟は生易しいものではない、と改めて感じさせる小説です。

2014年04月13日 01:05

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