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2015年03月01日 11:47

『ガラスの家族』キャサリン・パターソン著・岡本浜江翻訳・偕成社刊・1200円+税

知人に勧められてキャサリン・パターソンの『ガラスの家族』を読んだ。一般に、里親家庭に題材をとった小説で満足できるのもは少ないが、この本はなかなかいいできだと思った。

表紙裏にはこうある。「幼いときから里親のところを転々としてきた11歳のギリーは、けんかなら5人や6人はへいちゃら、おとなをだしぬくのは朝めしまえという恐るべき女の子だった。そんなギリーが、やっと手に入れたほんとうの家族とは」。

過酷な現実を生き抜くのには、子どもであっても気を許すことはできない。誰にも頼らない、心を開かない、常に打算で生きている。それはけなげなほどだ。実母への思慕。太った里母が近寄ってきても「ふにゃふにゃになんかなっちゃいられない、ほんとうの子どもじゃないんだから」(128P)と身構える。

そんなギリーの変化の物語である。変化は自己成長でもある。物語のなかで登場人物が精神的に成長していく姿を、読書行為を通じて一緒に味わえるのはとても気持ちのいいものだ。

2015年02月10日 15:01

『はじき出された子どもたち――社会的養護児童と「家庭概念」の歴史社会学』(土屋敦著、勁草書房 4000円+税)

社会的養護の分野の学者が書いたものでないところが新鮮な本だった。多くの社会的養護関係の論文(数百)を読んで、社会的養護の、時代のイデオロギーを読み解こうというのがこの本の狙い。

戦後間もなく、そして1960年から70年代に起こったこと、近年の動きの3期にわたって言及している。社会的養護の専門家でない分、論点はおおざっぱだが、時代のイデオロギーを知る新鮮さは他の本にはない。

戦後間もなくは浮浪児が多くいた時代。子どものためにと言うのではなく、子どもの犯す社会的犯罪をなくすために浮浪児狩りが行われる。子どもを1匹2匹と数えたのは有名だが、子どもの権利意識という面では弱かったと言っていい。児童相談所の前身が児童鑑別所と呼ばれていたことも初めて知った。浮浪児を非行、知恵遅れ、発達遅滞などに分ける都合があったという。鑑別と言うのはそう意味かとはじめて知った。

60年代70年代は要保護児童が少なくなって施設定員の縮小などが厚生省から提案されるが、それに対する反対運動がおこる。そういうなかで、親のいない子どもではなく、家庭からの保護(施設措置)の動きが出てくる。にわかにマスコミによってコインロッカーベービーなどが話題になっていく。

社会的養護関連の本では知ることのできない情報がクールに読みとかれる。それにしても、長い間要保護児童が4万人内外で推移しているのも不思議。社会は変化しているのに要保護児童数は変わらない。

家庭内からのいわば親子分離が施設の経営危機から出たとすれば、家庭再統合や分離しないで支援する仕組みが十分議論されないまま虐待などの今日的な問題に突入していったという本書の論点が鮮やかに見えてくる。

2015年01月06日 07:36

森省二著、ちくま学芸文庫

タイトルにあるように対象を喪失した病理の諸相を、著者が治療したケースや文学作品で解説したもの。対象喪失と言えば実親の喪失を思い浮かべるが、ペットやぬいぐるみ、自分の身体の一部も含む。極端なことを言えば生まれるという体験も子宮からの対象喪失と言える。

対象喪失が乳児期に起こるとどうなるか、複数の対象喪失の場合、対象喪失と悲哀の儀式、親子関係と対象喪失などの解説ののち、対象喪失によって子どもは不登校におちいったり、乱暴やいたずら、いじめ、心因性の症状など、その病理を開設する。それぞれに文学作品を紹介してくれるので、それも興味深い。

たとえば、対象喪失による怠学については「ピノキオ」、対象喪失による乱暴やいたずらでは「次郎物語」、心因性のものについては「まぼろしのトマシーナ」、対象喪失と歩行障害やヒステリーについては「秘密の花園」、劣等感や身体欠損については「すずの兵隊」などなど。

要保護児童は実親、友達、地域、持ち物など対象喪失には事欠かないと言っていいだろう。そうした対象喪失が年齢によって影響の出方が違うこと、また心的な過程(絶望や悲嘆から離脱へと向かっていく)を理解しておくことは里親にとっても必要なことと言える。

2014年12月30日 10:33

佐川光晴著、集英社文庫。

ある日、突然、父の逮捕を知らされて、主人公陽介の中2の生活環境はガラッと変わる。母の姉が運営する札幌のグループホームでの生活が始まる。姉、恵子おばさんのパワフルな生き方に影響されながら、あのまま日常を送っていたのでは考えられない精神的な成長を実感する。

人生が翻弄されているのに、確かに生きていく陽介と周辺の人たちから、読者も勇気がもらえて楽しい読書時間をもつことができる。その楽しさはどこから来るのだろう。ピュアな自己信頼とでもいったらいいだろうか。

社会的養護の世界にピュアな自己信頼があるのは難しいことだ。それはそうだろう。いくつもの喪失体験を味わいながら、世界と自分を信じられなくなるのが普通のはずだ。だから、あれ、こんなことでいいのかな、と思いながら、読者は不思議な元気をもらってしまうのだ。

2014年07月15日 09:07

ある会合で「不登校」をテーマに話し合ったが、その時『西の魔女が死んだ』(梨木香歩 新潮文庫)もいいよ、と勧められたので、さっそく読んでみた。

「わたしはもう学校へは行かない。あそこは私に苦痛を与える場でしかないの」中1の主人公まいの言葉にママは観念して、まいはおばあちゃんのところに行くことになる。おばあちゃんは「まいと一緒に暮らせるのは喜びです」と受け入れる。ママは「生きていきにくいタイプの子よね」とパパと電話で話しているが、おばあちゃんは「感性の豊かな私の自慢の孫」と言う。子どもの受け入れに大きな違いがある。

そして、生活を共にしながら、おばあちゃんの知恵を吸収していく。たとえばにんにくをバラの間に植えておけば、バラに虫がつきにくくなるし、香りもよくなるんです、とおばあちゃんは言う。

おばあちゃんはイギリス人で、魔女の血をひいている。そして、魔女になるべく、まいも修業を始める。基礎トレーニングは体力の向上と規則正しい生活

おばあちゃんは声をひそめて「この世には、悪魔がうようよしています。精神力の弱い人間を乗っ取ろうと、いつでも目を光らせている」。まいは心配するが「精神さえ鍛えれば大丈夫」とおばあちゃんは言う。そして一番大切なのは意思の力。自分で決めてやり遂げる力だという。

小説の終わりの方でまいはこんな夢を見る。「蟹になった夢なの。蟹の赤ちゃんのころは体も柔らかくて、居心地がいいんだけれど、だんだん大きくなると、身体もだんだん硬くなるの。そして体のいちばんまん中の核のところまで、硬くなりそうになって、ああ、もうだめだ、と思ったら、脱皮が始まったの。たぶん、以前、ざりがにを飼っていたときに見た、脱皮の影響だとおもうんだけれど」

人を疑うときのエネルギーの動きがひどく人を疲れさせることなども学んでいく。

新しい学校に通学を始めるにあたって、まいは「魔女の卵としての自分の秘かな修業の場にする」と決心する。

2014年05月06日 07:36

『世界一あたたかい人生相談』 枝元なほみ著、ビックイシュー日本刊、1333円+税

ホームレス、ビッグイシューの販売者が人生相談にこたえる内容の本。相談と言うとどうしても上から目線になりがちだが、自分の境遇からのアドバイスなので、わりとすんなりと自分の心に入ってくる。

読む気になったのは、社会的養護の当事者たちがホームレスになりがちで、そうした人がするアドバイスに興味があったから。残念ながら特にそうした人が登場してはいなかった。社会的養護の当事者だった人が、こうしたカタチでアドバイスする企画ができたらいいな、と感じる。

2014年04月29日 18:08

『嫌われる勇気』岩見一郎・古賀史健著 ダイヤモンド社 1500円+税

この本、あれよあれよと思っているうちに大変なベストセラーになってしまった。内容から言って、それは十分わかる。アドラーの心理学を青年と哲人の対話によって紹介する内容になっている。アドラーは原因に拘泥するよりも未来を見ろ、と言った心理学を打ち立てた。心に傷をもつような出来事があまりにも多い。震災、虐待、それ以外にも個人の出来ごととして日々出会うことになる。しかし、それにこだわるより、前に向けと言うこと。

里親関連でいえば、若い当事者にぜひ読んでもらいたい本だと思った。

2014年04月18日 08:03

『驚きの介護民俗学』六車由美著 医学書院 2000円+税

いつか社会的養護の民俗学的アプローチをしてみたいものと読んでみた。介護老人の語りに耳を澄ませると意味不明な言葉をつぶやく痴呆の人にも、過去のずしりとする人生が語られたりする。

私は地域社会の活動もしていて、地域は子どもと老人が主役だと思っている。子どもは前世の近くにいて老人は来世の近くにいる。世俗にまみれた世の中の両端にいて、いわば神に最も近い。

上野千鶴子が『当事者主権』で、老人の介護度5は生まれたての赤ちゃんも同じだと書いていたのを思い出す。介護保険と同じく養育保険と言うものがあったら、養護度5と言うことになるだろうか。違う分野の本からは多くの学びがある。

2014年04月17日 08:31

『児童養護施設の子どもたち』大久保真紀著、高文研刊、2000円+税

施設入所の子どもたちとの触れ合いを書いた本。要保護児童となった子どもたちの背景や思いが紹介されていて、里親にとっても委託されてくる子どもたちがどんな思いで生きているのかよく分かる本です。子どものこんな声が紹介されていてドキッとします。

――年下の子どもをかわいいと思えば思うほど、殴りたくなる。殴れば子どもは泣く。だが、そこで、「おいで」と手をさしのばすと、子どもはギュッと抱きついてくる。それが「チョーうれしいー」。そのときは、その子どもは自分だけに助けを求めてきているのだ。独占したような気持ちになる。たんに頼ってもらいたいと言うのとは違う。ギュッとされたときの、あの感じが忘れられない。

施設長が自分たちにやってきたことと同じことだとこの子はその行為を振り返ります。この子が大人になって子どもをもった時、どんな育て方をするのだろうと思ってしまいます。

2014年04月15日 08:35

森口佑介著、新曜社刊。2400円+税

副題からも分かるように、乳幼児はどのような能力を有しているかについて述べたもの。近年まで乳幼児は無能な存在と見られてきたが、今日はさまざまな分野で有能であることが分かっています。そうした知見を概観した本。後半の第8章で「仮装する乳幼児」が面白かった。空想の友達を作ったりふり遊びなど。しかし、これまでの関連本を紹介した本で、著者の論が展開されているわけではないので、その辺が不満かな。

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